ゴアペレ (Goapele) はオークランド出身の南アフリカ / ユダヤ系アメリカ人。
アパルトヘイト撤廃運動に関わっていた南アフリカ出身の父と、ニューヨーク生まれでユダヤ系の母がケニアのナイロビで出会い、
結婚した。一時期イスラエルに住んでいたこともあるが、大部分はオークランドで過ごした。
異なった違う文化を背景に育ったことで、世界の捉え方や視点を広げる機会に恵まれ、地域社会でどのような問題が起きているか、 国外で何が起きているか関心を持つようになったという。教会では女性同友修養会に参加し、人生や夢、不安について語り合い、 障害を乗り越えて自分の夢を貫く気持ちを育み、音楽を通じて様々なテーマに触れていきたいと思うようになった。
音楽の道に進むきっかけは地元オークランドの青年コーラス隊に入った事で、コーラス隊以外にもユース・グループや女性修養会など 人前で歌うことで、歌う事が子供の頃からの夢だと再認識したという。尚、タレント・ショーやオーディションに参加した経験は 無いそう。高校卒業後はボストンのバークリー音楽大学で勉強を続けた。
バークリー音楽大学卒業後、オークランドで活動を開始し、2001年に自身のレーベル "Skyblaze" を立ち上げてデビュー作 "Closer" を
発売した。当初はベイエリアで販売する事を考え2000枚のみ製造したが、好調なため1000枚追加した。これも完売した事でより大きな
可能性を感じ、新曲を4〜5曲加え全米で販売する事を決定。この "Even Closer" は全米で65,000枚を売り、ビルボードのR&B/Hip Hop
アルバムチャートで63位にチャートインした。これが注目を集め、コロンビアと契約を獲得した。
"Even Closer" はメデイアでも
注目され、地元誌以外にもローリング・ストーン誌の『今聴くべき5人のアーティスト特集』(2003年7月号)や、MTVの『観るべき
アーティストTop10』などにも登場した。
コロンビアからは "Even Closer" をデビュー作としてリリースした後、2作目 "Change It All" も2005年に発表した。デビュー作で 共作したアーティストとの絆も大切にしつつ、新たな制作陣としてサーラー・クリエイテイブ・パートナーズ (Sa-Ra creative patners)や リンダ・ペリー (Linda Perry) を迎えた。"Change It All" の評価は高く、チャートでも32位に入り前作を上回った(ビルボード R&B /Hip Hopアルバムチャート)が、ソニー・アーバンが閉鎖された為にメジャー契約は打ち切られてしまった。
3作目の "Break of Down" (2011年)までは6年間空いたが、この間は娘が生まれた事もあり家族との時間を優先していた。
娘がある程度成長し、音楽に時間が割けるようになったためアルバム制作を開始したが、当初のアルバム・タイトルは "Milk & Honey"
だった。"Break Of Down" の方が自分を表現していると感じたためだが、内容面では政治的要素は減り、よりパーソナルになった。
ゴアペレ本人も政治的要素と音楽表現のバランスは気にかけ、パーソナル過ぎないか自分に問いかけたが、『パーソナルな表現は
ポリティカルでもある』という言葉を思い出し、疑問を解決したそう。
音楽以外では人権問題に取り組み、2006年にはエラ・ベイカー人権センターから同センター10周年を記念した人権文化ヒーロー賞を 授与されている。
【参考文献】
・"Even Closer" 日本盤ライナーノート (柾虎氏)
・"bmr (2011年12月号)" インタビュー記事 (塚田桂子氏)
・Wikipedia
Even Closer | Change It All | Break Of Dawn |
ネオ・ソウルが基調 | ヒップホップもブレンド | 音楽面でも開放的 |
政治的 インディ・ソウル レーベル所有 ジェフ・バスカー
アフリカ系&白人 メジャー昇格 レーベル再編 ベイエリア出身
クルーシャル・ブラザーズ 南アフリカ系 ユダヤ系 難読名前 国際移住
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